真鍋ゆうなさんと初めて会ったのは、私が沖縄に移住する少し前、2025年の冬だった。
当時の私は、どこかが痛いわけではないのだけれど、身体全体が重かった。なんとなく巡りが悪いような感覚もあって、ふと鍼灸を受けてみようと思った。
近くの鍼灸院を探して行ってみた。
そこで出会ったのが、真鍋さんだった。
30代半ば。ちょっとギャルっぽい雰囲気もある。
それまで出会った鍼灸師とは、なんとなく違った。
その後、真鍋さんがそれまで働いていた場所を受け継ぎ、新しく自分の鍼灸院を開くことになったという連絡をもらった。
新しい鍼灸院に飾るアートを探していた真鍋さんは、作った人を知らない、どんな思いで作られたのか分からないものには、なかなか愛着が湧かないと思っていたという。
そんなとき、私の写真を飾りたいと思ってくれた。
真鍋さんの名前は「ゆうな」。
沖縄には、ユウナという花がある。
その花の写真を選び、プリントして額装し、新しい鍼灸院へ届けた。
鍼灸を受けていた頃から、私は真鍋さんに聞いてみたいことがあった。
なぜ鍼灸師になったのか。
この仕事を通して、何を考えているのか。
今回、写真を届けるタイミングで、あらためて話を聞いた。

「なんで?」が止まらない
真鍋さんは、とにかく「なんで?」が気になる人だった。
子どもの頃からそうだったらしい。
学校の授業が好きではなかった。
教科書に書いてあることも、そのまま信じることができない。
「だって、書いた人の主観が入ってるじゃん」
鍼灸の学校に通っていたときも同じだった。
「この症状にはこれが効きます」と言われても、なぜそうなるのかが分からないと頭に入ってこない。
本人は当時の自分を、
「すごいめんどくさい学生だった」
と笑っていた。
たしかに、めんどくさい。
でも、私はこういう人が嫌いじゃない。
むしろ、面白いと思う。
今の仕事でも、その「なんで?」は健在だ。
患者さんから「坐骨神経痛なんです」と言われても、それをそのまま受け取らない。
病院で診断されたものなのか。
本人がそう思っているだけなのか。
そもそも身体では何が起きているのか。
一つの言葉で終わらせず、そこからさらに「なんで?」と考えていく。
「人の脳みその癖」が面白い
真鍋さんは、「人の脳みその癖が面白い」と話していた。
人によって、物事の捉え方は違う。
得意なことも、苦手なことも違う。
同じことを見ても、同じようには考えない。
だから、ある人には簡単なことが、別の人にはものすごく難しいこともある。
本人が「自分はダメな人間だ」と思っていても、もしかしたら、その人自身がダメなのではなく、いる場所が合っていないだけかもしれない。
その人に合う場所に行けば、ちゃんと力を発揮できるかもしれない。
そんなふうに、人の考え方や心の動きに興味を持つようになったこともあり、真鍋さんは鍼灸の仕事を始めた後、心理学を学んだ。
身体の不調を見ていると、そこにはその人の生活や、人間関係、これまでの経験が関わっていることがある。
身体だけを見ていても、その人がなぜそうなっているのか分からない。
だから、もっと人そのものを知りたかったのだという。
発達心理学などを学ぶ中で、子どもの頃の経験や、そのとき身についた考え方が、その後の思考パターンにつながっていくことも知った。
そして今、それは患者さんと向き合うときの視点になっているのだろう。
「この人は、なぜこう感じるんだろう」
「なぜ、こういう行動をとるんだろう」
身体に出ている症状だけを見るのではなく、その人がこれまでどんな環境で、どんな経験をして、どんなふうに物事を捉えてきたのか。
そこまで含めて話を聞いていく。
だから真鍋さんの鍼灸では、身体のことだけで話が終わらない。
その人がどういう人なのかを知ることも、治療の一部になっている。
「じゃあ、なんで食べちゃうの?」
真鍋さんの鍼灸では、身体のことだけを聞くわけではない。
食事のこと。
睡眠のこと。
仕事のこと。
人間関係のこと。
日々のストレスのこと。
とにかく、いろいろ聞く。
たとえば、食べすぎてしまう人がいる。
そこで「食べすぎないでください」と言うのは簡単だ。
でも、
「なんで食べちゃうんだろう?」
と考える。
その人にとって、食べることが一番手っ取り早いストレス解消なのかもしれない。
だったら、食べることだけを止めても仕方がない。
何にストレスを感じているのか。
なぜ食べることで解消しているのか。
そこまで見ていく。
「運動してください」と言われても、運動できない人もいる。
だったら、
「なんで運動できないんだろう?」
と考える。
いきなり生活を全部変えるのではなく、その人ができることから始める。
真鍋さんが話していたのが、「スモールステップ」という考え方だった。
こういう話を聞いていると、真鍋さんは鍼灸の方法を教えたいというより、その人と一緒に「なんで?」を探しているように見える。
「患者さんが鎧を脱げる場所」
今回の話の中で、私が一番引っかかったのが、この言葉だった。
「患者さんが鎧を脱げる場所」
人は、社会の中で生きている。
仕事では仕事の顔がある。
家族の前では家族の顔がある。
ちゃんとしていなければならない。
人に迷惑をかけてはいけない。
嫌われてはいけない。
そうやって、知らないうちにいろんなものを身につけていく。
真鍋さんは、それを「鎧」と表現する。
鎧を着ること自体が悪いわけではない。
でも、その鎧が何層にも重なって、休んでいるときまで脱げなくなったら、しんどくなる。
だから、まずは鎧を脱げる場所をつくりたい。
そのために真鍋さんが大切にしているのが、「人を評価しない」ということだった。
「私は絶対、人を評価しないようにしてる」
評価されると思えば、人は話す言葉を選ぶ。
こんなことを言ったら変に思われるかもしれない。
こんなことを言ったらダメな人間だと思われるかもしれない。
だから、良い悪いを決めない。
話したいことは話していい。
それが、真鍋さんの考える「鎧を脱げる場所」なのだ。
鍼灸師なのに、鍼灸が主役じゃない
そして、もう一つ印象に残った言葉がある。
「別に鍼灸をツールとして、私は人と関わってるだけ」
これも、なんだか面白い。
鍼灸師なのに、鍼灸を主役にしていない。
「鍼灸に行けば大丈夫」
「あそこに行けば安心」
という状態をつくりたいわけでもない。
むしろ、いつか自分で鎧を脱げるようになってほしい。
自分で休める。
自分のための時間をつくれる。
眠るときには、ちゃんと鎧を脱げる。
そんなふうになってほしいという。
「鎧を脱いだ状態の自分も大切にしてほしい」
そして、
「価値がない人間なんていないから」
と話していた。
この人、やっぱりちょっと変だ
最初に会ったときに感じた「なんか違う」は、今回話を聞いて少し分かった気がする。
教科書をそのまま信じない。
「なんで?」が分からないと納得できない。
人の「脳みその癖」が面白い。
症状を言われても、そのまま受け取らない。
食べすぎる人にも、「なんで?」と考える。
人を評価しない。
そして、自分の仕事である鍼灸のことまで「ツール」と言ってしまう。
こうやって並べてみると、やっぱりちょっと変だ。笑
でも、私はこういう人が好きだ。
誰かが決めた正解をそのまま受け取るのではなく、自分で「なんで?」と考える。
その「なんで?」を、人に向けるときも、相手を否定するためではない。
その人がどうしてそうなっているのかを知ろうとする。
だから、話を聞いていて面白い。
今回、真鍋さんの新しい鍼灸院に飾るために、彼女の名前と同じ「ユウナ」の花の写真を届けた。
作った人を知らない、思いを知らないものには愛着が湧かない。
そんな真鍋さんが、私の写真を選んでくれたことも、なんだか嬉しかった。
その写真の前で、これからどんな人たちが鎧を脱いでいくのだろう。
どんな話が出てくるのだろう。
そう考えると、ちょっと楽しみだ。
そして私自身、今回あらためて話を聞いて、また一度、この人に身体を見てもらいたいと思った。

取材協力
HAU鍼灸院
