今さらという気持ちも少しあるけれど、
写真を見返しているうちに、
改めてこの写真とこのインタビューを記事にしてご紹介したいと思ったので、書くことにした。

この撮影は、2024年9月。
愛知県新城市にある「四谷の千枚田」で行われた稲刈りの日の記録だ。

当時の私は、こうした撮影や取材を、
自分の仕事としてどう形にしていけばいいのか迷っていた時期でもあった。

本当は、こういう時間を撮りたかった。
こういう人たちを撮りたかった。

でも、それをどうやって生きることに繋げていけばいいのか分からなくなって、
記事を書いては消して、
写真を見返しては閉じる、
みたいなことを繰り返していた。

だけど今、改めて思う。

私はやっぱり、
ただ綺麗な写真を撮りたいわけではなくて、

誰かが自分の内側にある想いや使命のようなものに触れながら生きている、
その瞬間に現れる表情や空気を写真として残したいのだと思う。

それは、ポーズや表情を作った写真とは少し違う。

人が本当に自分のやるべきことや、やりたいことに向かっている時。
その時にだけ滲み出る、その人自身の魅力。

私はそういうものを撮りたい。

だからこそ今、
改めてこの取材を書き直したいと思った。

今回ご紹介するのは、
愛知県新城市・四谷の千枚田で棚田オーナー制度を運営している、丸地さんのお話です。


四谷の千枚田へ

2024年9月14日。

私は東京から新幹線に乗り、豊橋へ向かった。
そこからレンタカーに乗り換え、愛知県新城市、四谷の千枚田へ。

山道を進んでいくと、谷間に段々と連なる棚田が現れた。

一部はすでに稲刈りが終わっていたけれど
まだ残っている田んぼには黄金色の稲が広がっていて、
光を受けながら本当に美しく輝いていた。

周囲の山々は深い緑。

空気も静かで、
ただその景色を見ているだけで、少し呼吸が深くなるような感覚があった。

翌日の撮影に向けて事前に場所を確認しておきたかったというのもあるけれど、
到着したその時点で、すでにかなり心を動かされていたのをよく覚えている。


稲刈りの日

翌朝、9月15日。

朝8時に丸地さんと待ち合わせをした。

実は丸地さんとは、以前コーチングスクールのような場で出会っている。

その頃の丸地さんは、
ビシッと整った服装にきっちりセットされた髪型。
いわゆる「仕事ができるビジネスマン」という印象だった。

だけど、この日現れた丸地さんは、
軽自動車に作業服姿。

その姿があまりにも自然で、
でも今まで見たことのない雰囲気で、少し驚いたのを覚えている。

この日は、棚田オーナーの方々が何組か稲刈りに来る日だった。

子どもたちも多く参加するということで、
丸地さんは朝早くから、刈った稲を束ねるための藁を準備したり、受け入れのために動き回っていた。

途中、稲のデータを取るために、一部の稲を自分で刈っていたのだけれど、
その時の表情が本当に印象的だった。

ものすごく楽しそうだった。

「こんな表情をするんだな」と思うくらい、
子どものような笑顔だった。

やりたいことをやっている人って、
こんな顔をするんだな、と。

作った笑顔ではなく、
内側から自然に湧き上がっているような表情だった。


少しずつ人が集まり始める。

印象的だったのは、
子どもたちの多さだった。

棚田は当然ながら斜面にあるので、
登ったり降りたり、
それなりに体力も使う。

撮影している私自身もかなり動き回っていたけれど、
子どもたちは元気いっぱいに走り回っていた。

稲を刈る。
束ねる。
運ぶ。

土に触れる。
お米がどうやってできるのかを、自分の身体で知る。

きっとこういう体験は、
食べ物への感謝や、
お米のありがたみを自然に育てていくんだろうなと思った。

小さい頃からこういう景色や体験に触れることは、
とても大切なことなんじゃないかと感じた。

そして何より、
その光景を見ている丸地さん自身が、
本当に嬉しそうだった。

「皆さん楽しそうですね」
と声をかけると、
丸地さんもまた、とても柔らかい笑顔で答えてくれた。


稲刈りが終わった後は、
丸地さんが借りている古民家へ移動。

そこでバーベキューが行われた。

前年に収穫されたお米を炊き、
皆で囲んで食事をする。

私もご馳走になったのだけれど、
本当にお米が美味しかった。

もちろんバーベキューも美味しいのだけれど、
それ以上に、「お米そのもの」の美味しさが強く印象に残っている。

最後に集合写真を撮った時の丸地さんの表情は、
まるで少年のようだった。
※お子様たちが写っているので、集合写真の掲載は差し控えます。

その日の空気そのものを象徴しているような顔だったと思う。


翌朝のインタビュー

翌朝6時。
私はもう一度、四谷の千枚田へ向かった。

丸地さんが借りている古民家にお邪魔し、
そこでインタビューをさせていただいた。

その中で丸地さんは、

・なぜ棚田を始めたのか
・なぜこの場所に人を呼びたいのか
・なぜ子どもたちの声が響く景色を作りたいのか
を語ってくれた。

印象的だったのは、

「自分は生きてきたんじゃなく、生かされていた」

という言葉だった。

47歳で大腸がんを経験したことをきっかけに、
自分は地域の人たちに支えられながら生きてきたのだと気づいたという。

地域の人たちが商店に通ってくれたから、
家族が生活でき、
自分も育ち、
大学へも行けた。

だから今度は、
自分が地域へ返していきたい。

その想いが、
棚田オーナー制度や古民家の活動へ繋がっていた。

また丸地さんは、

「癒されるだけではなく、
その人が本来持っている力を思い出せる場所にしたい」

とも語っていた。

棚田や自然を通して、
人が自分自身を取り戻していく。

そのための場をこの地域につくりたいのだと。


インタビュー中、
私は写真を撮り続けていた。

もちろん丸地さんは真剣に話している。

でも、その表情はどこかとても柔らかかった。

穏やかで、
満たされていて、
豊かだった。

それはきっと、

「自分が本当にやりたいこと」
「自分がやるべきだと思っていること」
に、全力で向き合えているからなのだと思う。

しかもその表情は、
カメラを意識して作られたものではない。

自分の内側から出てくる言葉を真剣に語っている時に、
自然と滲み出てきた表情だった。

だから私は、
こういう瞬間を撮りたいのだと思う。

人が、自分の本当に大切なものに触れている時。
その時にだけ現れる、その人自身の表情や空気。

写真にはそういうものが写るのだと、
改めて感じた撮影だった。


最後に

この場所で行われていることは、
単なる「地域活性化」という言葉だけでは表せない気がしている。

もちろん棚田を守る活動でもある。

でもそれ以上に、
一人の人が、自分の人生の中で本当に大切だと思ったものに向かって生きている。

その姿そのものに、
人は惹かれるのだと思う。

そして、
その想いに触れた時、
人は自然と集まり、繋がっていく。

今回撮影しながら、
そんなことを何度も感じていた。

だからこそ私は、
これからもこういう人たちを
写真とドキュメンタリーとして残していきたいと思う。


取材協力

丸地典利
Instagram: https://www.instagram.com/nmaruchi/

ハッピーランド プロジェクト
Instagram:https://www.instagram.com/happyland_project/