「自分史を作りたい」という言葉
先日、とある経営者の方と話す機会があった。
私からすると、かなり先輩にあたる方。
年齢も親ほど離れていて、会社も大きくされている、いわゆる「大社長」と呼ばれるような人である。
その日は、自分史とはまったく関係のない話をしていた。
そんな雑談の中で、その方がふと、
「実は今、自分史を作りたいと思っているんだよね」
と言った。
写真を撮りながら、そういうものを残していくのもいいよね。
そんな話になった。
私自身、人の生き方や仕事、その人が歩いてきた時間を撮ることは好きだし、得意な撮影でもある。
だから、「それはぜひやりたい」と思った。
ただ、そのあと少し考えた。
自分史って、一度の撮影で作れるものではないよねって。
その日に撮った写真だけでは、きっと表現しきれない
例えば、ある一日を密着して撮影する。
仕事をしている姿があって、人と話している姿があって、ふとした表情があって。
そこにインタビューを加えれば、その人の生き様や人柄まで伝わるものは作れる。
でも、それだけで「その人の歴史」になるかというと、少し違う気がする。
もちろん、それまでの積み重ねは、その人の生き様として、一日の表情や佇まいにも表れている。
ただ、一日の撮影で見えるのは、あくまでその時点での姿だ。
何年も積み重なって、考え方が変わったり、仕事が変わったり、人との関係が変わったりする。
うまくいっている時期もあれば、そうじゃない時期もある。
その時は何でもないと思っていた出来事が、何十年か経ってから振り返ると、大きな意味を持っていることもある。
だから、自分史を作ろうと思ったときに、そこから過去を思い出して写真を探すだけでは、どうしても残っていないものが出てくる。
当たり前のことだけど、撮っていなかったものは、あとから撮れない。
だから「残しておく」ということ
だったら、自分史を作るために撮るのではなく、普段から少しずつ残しておくのはどうだろう。
仕事をしているところ。
誰かと話しているところ。
何かを考えている横顔。
会社の風景。
その年に起きたこと。
そのとき考えていたこと。
感じていたこと。
写真だけじゃなく、言葉も残しておく。
一年経ったら、その一年分を振り返ってみる。
さらに何年か経ったら、また振り返る。
そうして積み重なったものは、あとから見れば、それだけでも十分に「自分史」になっているのではないかと思う。
もちろん、そこから改めて文章を整えたり、写真を選んだりして、一冊の本にすることもできる。
でも、そのときに必要なのは「思い出すこと」だけではない。
すでに残っているものを見ながら、自分の人生をもう一度眺めることができる。
未来の自分が何を思うかは、今の自分にはわからない
だからこそ、今できるのは、その人がその時々を生きている姿を残しておくことなのかもしれない。
正直に言うと、私はまだ、その経営者の方の思いを同じように理解できているわけではない。
私自身、まだその年齢になっていないからだ。
70歳、80歳になったとき、自分が何を考え、何を残したいと思うのかは、今の私にはまだわからない。
きっと、読んでいるあなたも同じではないだろうか。
今は何気なく過ごしている時間や、当たり前だと思っている人との関わりが、未来の自分にとっては、かけがえのないものになっているかもしれない。
逆に、今は大切だと思っているものが、いつか変わっていることもある。
未来の自分が何を大切にするのかは、今の自分にはわからない。
だからこそ、今しか残せないものを、少しずつ残しておくことに意味があるのだと思う。
実際にその年齢を重ねた人が、「残しておきたい」と思っている。
その事実を前にして、誰もがいつか同じように感じるのかもしれないと思った。
もしかすると、読んでいるあなたも、いつか同じことを思うのかもしれない。
「自分史を作ったほうがいい」と言いたいわけではない。
けれど、あとから残したいと思っても、その時点ではもう撮れないものがある。
今の仕事や日常、何気ない表情、そのとき一緒にいる人たち。
そういうものを、今のうちから少しずつ残しておく。
すぐに使う予定がなくても、将来の自分のために撮っておく。
それは、自分の未来への投資に近いのかもしれない。
今は価値がわからなくても、何年後か、何十年後かに振り返ったとき、初めて意味が見えてくることがある。
未来の自分が何を大切にするのかわからない今のうちに、今の自分を撮っておく。
撮った写真は、今すぐ使わなくてもいい
写真って、撮った瞬間に全部使わなくてもいいと思っている。
SNSに使うかもしれない。
会社のホームページに使うかもしれない。
プロフィールに使うかもしれない。
あるいは、何年も使わないかもしれない。
今は必要ないと思っていた写真が、数年後に突然必要になることだってある。
そのときに、「あの頃の写真があれば」と思っても、時間は戻せない。
だから私は、写真を「今使うための素材」だけとして考えたくない。
その人が生きてきた時間の一部として、そっと残しておく。そして必要になったときに、そこから選び、整える。
撮り続けるということ
一年に何度か、その人の仕事や日常を撮る。
その時々の表情や、周りにいる人たち、場所、出来事を残していく。
一年が終わったら、その一年を振り返ることができる。
それが二年、三年と積み重なっていけば、写真の中に時間が生まれてくる。
最初から「自分史を作りましょう」と構える必要はない。
ただ、その時の自分を残しておく。
今は使わないかもしれない写真も、撮っておく。
その積み重ねが、いつか振り返ったときに、自分の歩いてきた道になっているのかもしれない。

