同じことをなん度も繰り返してきてしまった。

今となってはそれも全て経験する必要があったり繰り返す理由があったりというのはわかってきて、もう本当に自分の人生を生きようと決めることができたけれど、目の前に課題が見えていたりという中で、その課題すら経験する必要があるからそこにあるのだと感じてはいて。

乗り越えるのかどうかはわからないけど、このプロセスを記録に残しておこうと閃いたから、このブログの0-0として書いていきたいと思う。


「私とは・・・」


何歳くらいの頃からかは覚えてないけれど、高校生くらいの時には、
「私とは…」
と漠然と考えていた。

それが重い感じになっていき、

「何のために生きているのか…」とか
「自分が生きている意味は…」
とか考えすぎて鬱病まで経験した。

自分が生きている意味がわかれば、自分が何なのかがわかれば、楽に幸せに生きていけるのではと思い、

霊視的なコンサルを受けたり、
「人生の使命」を明確にするコーチングを受けたり、
瞑想したり、

なんだか色々な自己探究をしてきた。


「寿命かな」


そしてその度に言語化ができて明確になった気になるんだけど、
ちょっとするとそこに迷いが出たり違和感が出たりして、
また再び迷路の中に入っていくことを繰り返し、
さまよい続ける自分とその人生に疲れていく日々だった。

そしてその先にあったのは、
自分の望む人生を生きられていないというフラストレーションと怒りや不安。

「うまくいかない」
「何で自分はこんな目にあうんだ」
「もうこんな人生は嫌だ」

彷徨いまくる迷路の中で疲れ果てて、
全ての気力がなくなって寝たきり状態で

「寿命かな」
「これが自分の人生のシナリオか」
なんて思っていたのがつい先日。


「純粋にやりたいことをやれ」


そんな中でも寝てれば少しずつ回復してきたので、どうやら寿命はまだだったようで、人生のシナリオもまだ続きがあるようだなと。

仕方なく見始めたyoutubeで書籍紹介のチャンネルが出てきて、ほぼ全て「眼醒め」とか「覚醒」とか「悟り」とか、そういう類の本ばかり。

その時の思考は全く覚えてないけど、誘われるように3冊ほど購入した。

すると全ての本は違う著者のものだけど、書いてある内容はだいたい一緒だった。

繰り返し繰り返し諭されているというか
「気付け気付け」と訴えかけられているというか。

繰り返し諭されたように受け取ったのは、

「純粋にやりたいことをやれ」
ということ。

もちろん、宇宙の話とか、魂の話とか、「空」の話とか、色々なことが書いてあって学べたおかげで、
最終的に
「純粋にやりたいことをやれ」
というメッセージを受け取った。


凸凹のままでいい


はっきり言って、今までやってきたことを否定するとか無駄だとか、全く思わない。

たまたまこの気付きを得るタイミングが今だったんだと思う。

それを感じつつ今思うのは、

「自分が何者か」というその役割の名称や、その役割をやった結果に執着して拘り続けて、
「今」を全く見ていなかった。

だから、今何をするのかを見失うことを繰り返していたんだと思う。

そもそも結果から逆算するのは苦手だし、結果や目標の為にとなると力を発揮できない。

それがマインドブロックだと言われては頑張ってはずそうとしてきたが、
そんな自分の凸凹を平らにしようせず、
パズルのピースのようにそれぞれの凸凹があってこそなんだなというのも、
いま感じているところ。


で、結局何をしていくのか

これは結局
「今のところ」
というしかないけれど、

「自分の喜びで選択していく」。

「嬉しい」「楽しい」「ワクワクする」
そういうインスピレーションで選択をし、
「今」を喜びのエネルギーをまとって、
夢中に、純粋無垢な自分で生きていこうと思う。

そう決めた自分が、「やりたいことをやる」ということに関してどんなインスピレーションを得てるかというと、

「旅行✖️スナップ写真」
「旅路の中で出会う命の光や魂の輝き、

その純粋無垢な美しさを、その感動のままに撮りたい」

というインスピレーション。

ビジネスになるのかとか、
誰の役に立つのかとか、
そんなことはあえて考えずに、

自分がやりたいこと、
喜びのままにしたいと思うことをすること、
喜びのエネルギーを纏って生きていることで、
この人生を全うしてみたいと思う。

そのプロセスの記録の始まりということで、やりたいと思ったからここに書いてみた。