2023年7月14日、急遽タサエンに滞在することになり来てみたところ、なんとも長閑でわたしにとっては過ごしやすい環境だった。
とはいえ19日にはバンコクで撮影があるため18日の夜シェムリアップからバンコクへ戻る予定なので、滞在できても5日間か。なんて思っていたら、
「16日にバッタンバン市内でソラクメールのイベントがあるから明日一緒にバッタンバン市内に行こう」
とミエンさんからのご提案。

バッタンバンの市内といえば、私が20年通う街。タサエンからは車で2時間半。
スケジュールを考えたら明日(15日)にバッタンバンに行き、16日イベントがあると、そのままシェムリアップに行った方が良さそうだなと考えた。
そうなると、おう明日(15日)の昼までしか時間がないということになった。
そんな突如の最終日(2023年7月15日)の記録。

AM6:16

朝は明け方から野犬が吠え、さらにそこに鶏の大合唱が加わり、6時にはまだ薄暗い中みんなが活動を始めているようだった。
ちなみに私も朝は強い。(夜にはかなり弱い)

身支度を整えてAM6時16分、外に出てみるとハウスキーパーのマオさんの息子さんが一人で勉強をしていた。

カンボジアでもスマホをいじり続ける子どもはたくさんいるものの、日本の子供ほどではない。
上下水道もなく電気も限られている貧困の村においては、原始的な体を動かす遊びの他に、こうやって自発的な勉強で空き時間を過ごすこどもをよく見かける。


その横ではミエンさんが、宿舎の庭の真ん中にあるマンゴーの木から大きく実ったマンゴーを収穫していた。

いつも寡黙なミエンさんが、嬉しそうに収穫したマンゴーを私に見せたり、香りを嗅いだりしている姿を見て、私はすっかり彼のファンになってしまった。
ギャップがすごい!!

そのマンゴーの香りはカメラを構える私のほうにまで届くほど。

「マンゴーは日本ではいくらですか?」という質問に
「物にもよるけど、高い物だとアップルマンゴーが一つ1万円とかするものもありますよ」と答えると、

「アップルマンゴーなんて食べるの?!」「ぐにゃぐにゃじゃん!」
驚いた様子でそんな言葉が返ってきた。

この嬉しそうな表情、私は果物一つには向けられるだろうか。
マンゴーだからとか、果物だからどうとかではなくて。
庭先になる果物をこんなにも嬉しそうに収穫しその香りを堪能するその姿に、私が失って取り戻したがっている丁寧な暮らしがここにあるように感じた。


午前7時。蒸留所の朝礼の様子。
今は蒸留所はオフシーズンで、追加の瓶詰めや発送が行われている。

そして、朝礼後の朝食の時間。
みんながお弁当を持参して、それぞれのおかずを分け合って食べていた。

私のお弁当文化では、自分のお弁当は自分で食べる物。3つ入っている卵焼きを一つ誰かに分けるくらい。
ここでは最初から分け合うつもりでおかずはおかずの入れ物に入れて、その入れ物ごと回して食べる持ち寄り形式だ。

自分のは自分の。私はその傾向が強い。
かと言って、知識や経験や技術、物質的なものでも、自分の必要量を超えて所有しているものも多くある。
それにもかかわらず、それを分かち合えていない。
それは私の心の貧しさからくるものなのだろう。
逆にここタサエンの人々には心の豊かさがあるのだろう。
それは経済的な豊かさをはるかに超えて暖かな、真の豊かさなのかもしれない。

はじまりのおばちゃん

ソラクメールの始まりは、村のおばちゃんが蒸留していたカンボジアのお酒だったそうだ。

「地雷処理だけでは戦後復興にはならない」

そう考えた高山さんは、地域復興支援に乗り出したのだが、そこで目をつけたのがタイに二束三文で売られていく農作物。

その農作物に付加価値をつけようと思った時に、このおばちゃんのお酒造りと愛媛県「桜うづまき酒造」の黒麹が融合したのだ。
(そのストーリーの詳細はIMCCDのクラファンページを読んでいただきたい。https://readyfor.jp/projects/SoraKhmer-IMCCD2025

そのおばちゃんが今クマエ蒸留で働いているこの方なのだ。

ひっそりと自宅で作っていたお酒。それがフランスで受賞をするお酒の原点かと思うととても夢がある。

人生何があるかわからないが、懸命に日々を生きているからこそ、こういうご縁に結びつくのだろう。

IMCCDのワンさん達

IMCCDの敷地内には、学校がある。
この日の朝、庭を歩きながらふと校舎のほうに視線を送るとグデーっとするワンさん達がいた。

タサエンの空気感、そのゆったりと穏やかな空気を感じて頂ける瞬間かと思ったので、こちらでご紹介。

これでも誰か来ると、とてもつもない勢いで吠えに行く、素晴らしい番犬のみなさんだった。

「ゆっくり、ゆっくり」
「気楽に気楽に」
常日頃からこんな言葉をかけられる私。
あまりに頑固で緩みがないというか、しなやかさが少ない。
それを意識しても戻ってしまう時、この写真を見るようにしよう。
休む時は休めばいい。

トウモロコシとミエンさん

IMCCD宿舎裏側には広大な畑が広がっている。
この時は収穫シーズンだったようで、マンゴーやリューガン、トウモロコシなどがたくさん実っていた。

リューガンを木から収穫するミエンさん。

食べてみてと言ってもらって食べたが、市場で買うものと比べ実が大きい。
水々しく爽やかな甘さでとても美味しかった。
他の作物と同様IMCCDのリューガンは農薬も肥料も使っていないから、身が大きく良い味なのだとか。


トウモロコシをたくさん収穫し、大きい実が詰まっているのを見てとても嬉しそうなミエンさん。ただ作物が収穫できるのも大きな喜びだろうけれど、ここがもともとどんな土地だったのかを思うと、その喜びと有り難みはとても大きなものなのだろう。

両手にトウモロコシを束ね、宿舎へと戻るミエンさん。

そして、マオさんと娘さん(長女)と一緒にトウモロコシの皮を剥く。
カンボジアのトウモロコシは水っぽくて味がない印象だったが、このトウモロコシは甘味が強く粒がしっかりしてとても美味しい物だった。

ミエンさんがトウモロコシの皮を剥いていると、何も言わずともマオさんが加わり、娘さん(長女)も何かゲームでもしに来るかのように楽しそうに飛んできて皮剥きを手伝っていた。
これは手伝うことが喜びなのかトウモロコシが喜びなのかはわからないけれど、こうやって輪になって寄り添って作業する姿に、農家だった祖父母の家での光景を重ね、やっぱりこういうの好きだなと感じていた。

バッタンバン市街へ

この後PM3時頃、タサエンを出発しバッタンバン市内へと向かった。
その道中は壮大なカンボジアの風景なのであったが、iphoneで数枚撮っただけだった。

そういうとこだよ、よっしーさん。
と自分で戒めているのだが、それも後の祭りなので、iphoneの写真を数枚ご紹介して、この章は締めたいと思う。

タサエン近くのバーンレーム国境。
8月の渡航ではこの国境をタイ側から渡り入国した。基本的に国境付近は撮影禁止なのでビビりながら一枚。

バッタンバン郊外にある仏教遺跡。
名前を忘れてしまった。
ほんとにこういうところ、次の旅から気をつけよう!

バンタンバン市内。
街中は信号機もあり、タサエンに比べるととてつもなく都会に感じる。

この章の最後に

このブログを半分くらい書いたところで、はっとした。
だらだら日記をやめようと写真のエピソードを書いていたが、結局何が伝えたいのか、その熱量が自分でも感じられなかった。
そのため途中から、自分が感じたことを追記した。
しかしこれを誰かに伝えたいのかと思うと、むしろ自分に伝えているような気持ちになった。
ただ、これを作為的に誰かに響くように書くのは私のコンセプトから外れるので、あくまでも感じるように書き、それが誰かの何かになればいいかなと思っています。