突然だか、ブログの書き方を変えようと思います。
だらだらと日記を書いていても、私の作品としてはつまらないなと感じてしまったので。
今回からは、簡単にエピソードを紹介した上で、写真とその写真のストーリーを紹介していきます。

2023年7月11日、前日深夜に愛媛・松山から帰京し、大急ぎで荷物を作り替え、羽田空港発のタイ航空でバンコクへ飛び、一泊後にカンボジア・シェムリアップへ。
そして7月11日にはこのプロジェクトの資金調達を目的としたフレンドファンディングのスタート日でもあったので、羽田空港でフレンドファンディングの想いを語るライブ配信をし、急いで飛行機に飛び乗った。
今回の渡航の目的は、タイのパタヤとバンコクでの撮影。
それならばそのついでに、20歳の頃から訪問させてもらっているカンボジアの孤児院に訪問しようということで、TASAE WITH TAのプロジェクト立案の前に計画したものだった。
(そのため、TASAEN WITH TAの撮影前に一度日本に戻らなければならないスケジュールになってしまった。。。)
カンボジア・シェムリアップに到着してメールやSNSを確認すると、フレンドファンディングは50%達成するような状態で一安心だったのだが、同時に暗雲も立ち込めた。なんとカンボジアの孤児院の担当者がアポを取っていた日に不在だというのだ。
実はこの孤児院への訪問は、孤児院側から会って話をしたいと要請があってそれに応じたものだったのだが、スケジュールの変更を余儀なくされたの。
そんな状況の中で日本に滞在している高山さんとは連絡のやりとりをさせて頂いていたのだが、「タサエンに行ったらいい」と高山さんから突然の提案が。
それもまた自然の流れかなと思い、急遽予定を変更してタサエンへと向かった。
そんなドタバタの渡航と、急遽のタサエン訪問の記録1日目。
目次
カンボジアの空と旧シェムリアップ空港


バンコクからカンボジア・シェムリアップ国際空港へは空路約1時間。
空からの景色が未開のジャングルのような景色へと変わると、タイからカンボジアへ入ったのだと感じる。
そしてジャングルの向こう側にはアジア最大の湖トンレサップが見える。
トンレサップ、それはカンボジア語で「巨大な湖」を意味するだけあって、ただただ巨大で壮大だ。
旧シェムリアップ国際空港(REP)はボーディングブリッジの無い空港だった。
そのため、飛行機の扉を出たらタラップを降りて、空港ビルまで歩くことになる。
カンボジアのジリジリと肌を焦がす強い日差しを感じる時が、カンボジアに戻ってきたことを最初に実感する時。
最高に気持ちいい。
※旧シェムリアップ国際空港(REP)は2023年10月に閉鎖、現在の空港(SAI)に移行。
サン・サンさん



もうかれこれ20年の付き合いになる。
苗字はサン、名前もサン。敬称をつけたら、サン・サンさん。確か私の2歳年上。
シェムリアップに行けば必ず一緒にビールを飲む、「カンボジアの兄」のような存在。
サンとの出会いは、私が20代のときに定宿にしていたゲストハウス。サンはそこで住み込みのバイクタクシーをしていた。
そんなサンも今や二人の子の親で、HISの日本語ガイドをしている。
サンも私も40歳を超えて、かなりビールの量が減った。
ソックミエンさん

地雷原だった場所から生まれた奇跡の美酒ソラ・クメール。その酒を生み出すクマエ蒸留の社長ソックミエンさん(以下、ミエンさん)。
プノンペン大学という超名門大学在学中、官僚になること決まっていたミエンさんだったが、カンボジアの為に熱い想いを持つ高山さんに共感し、高山さんのパートナー兼通訳兼秘書兼・・・というような役割で20年。
もはや高山さんとは親子のような関係の人。
カンボジア王国バッタンバン州カムリエン郡タサエン

ベトナム戦争に端を発し混乱したカンボジアの国内情勢は1978年には内戦へと発展した。
その内戦は1991年まで続くのだが、皆さんもご存知であろうポル・ポト率いるクメール・ルージュと政府軍との戦いがその中であり、国境を越えタイ側に逃げ込むポル・ポト軍が政府軍の侵攻を防ぐ為にこのタサエンのある国境付近に大量に地雷を撒いたといわれている。
(クメール・ルージュだけでなく、カンボジア政府軍もカンボジア侵攻したベトナム軍も地雷を埋設し、ベトナム戦争中は北ベトナムから南ベトナムに物資や兵を輸送するためのホーチミン・ルートがカンボジア国内を通っており、その破壊のためにアメリカ軍による空爆が行われたことは、カンボジア南部西部における残存不発弾の原因の一つである。)
内戦終結から30年余りがたったタサエンの道。
のどかな森林の中の道を、ヤギ農家の人がヤギの散歩をさせている。

タイ国境に続くこの道は、カンボジアからタイに農産物を運ぶ大型トラックのエンジン音が響くが、こんなレトロすぎる農家の車も走っている。

キャッサバ芋が育つこの場所。
わずか30年前の内戦の歴史がここにあり、この場所を復興させるための高山さんの20年がここにあった。
井戸で洗濯をする村のおばちゃん

シェムリアップからタクシーで4時間。カンボジア内戦最後の激戦地のひとつであるバッタンバン州カムリエン郡タサエンに着いた。
到着してミエンさんと談笑をしていると、首都プノンペンからの訪問者がいらした。
その彼がヤギ肉を買いに行くというので、村を散策がてらついて行ってみた。
タサエンにあるIMCCD(国際地雷処理・地域復興支援の会)宿舎の周りには民家が点在している。そのうちの一つの民家の方にみんな入っていくので私も入ってみると、井戸で洗濯をしているおばちゃんがいた。
その洗濯場には綺麗な手動の組み上げ設備があり、その奥には日の丸と「HIROSHIMA JAPAN」と書かれた石碑が建てられていた。
これは日本からの寄付を受けてIMCCDが作ったものだとすぐにわかった。
20年カンボジアに行っているので、カンボジアの貧困村での洗濯と言えば水瓶に貯めた雨水を使うイメージだったが、井戸からの綺麗な水で洗濯ができているのは驚きであった。
それでも洗濯物を入れてスイッチを押せば数十分後に洗濯が終わっていたり乾燥まで終わっているような日本の当たり前からしたら圧倒的に不便で大変な洗濯。
その洗濯を、微笑みながら丁寧に一枚ずつするその姿に心を惹かれた。
ヤギ農家の女性

ヤギを飼育している家に着いた。
「どのヤギがいいの??」と聞かれ、
プノンペンからの訪問者の方は「メスがいいんじゃないか」とか「小さいほうがいいんじゃないか」とか、決めあぐねている。
それを笑顔で待っているヤギ農家の女性の笑顔がとても美しかった。

その彼女が、自らヤギを捕まえ、しめて皮を剥ぎ解体していた。
日本でスーパーに並ぶ精肉されたものばかり見慣れている私にとって、普段から命を頂いているということはわかっていたとしても、この光景はなかなか心が締め付けられる光景だった。
しかしこれが命を「いただきます」ということなんだよね。
笑顔でヤギと接し育ててきた彼女がその羊を精肉していく様子を見ながら、命を頂くことの意味を忘れない為にもこの写真を撮ろうと思った。
ソラクメール

せっかく訪問させて頂いたんだから何か役に立ちたいと思って、ソラクメールの商品撮影を提案した。
やろうやろうとなって準備をはじめたのだけれど、まさか本物のマンゴーがサラッと出てくるとは思っていなかった。
ソラクメールがフランス・パリで受賞した商品は、ジャスミン焼酎、バナナ焼酎、マンゴー焼酎の3種類。
そのうちのマンゴー焼酎の撮影をしていたらおもむろにマンゴーの皮を剥き出したんだから、それは驚きだった。
日本人の私の感覚でいうと、マンゴーは高級品だ。
どでかいマンゴーが2つもさらっと出てきて、その皮を急に剥き出すんだからびっくりだった。
この時カンボジアはマンゴーの収穫シーズン。
IMCCD宿舎ではマンゴーが庭で採れてしまうのだ。

ソラクメールのマンゴー焼酎はマンゴーの香りと甘味が豊かで、口に含むと東南アジアの恵みを感じられる。

また、クマエ蒸留で作られているドライマンゴーも絶品だ。
低温で乾燥させているため香りも甘みも強く、砂糖も香料も添加されていない。
こちらは本当にお土産で喜ばれた。
ドライマンゴーは今は日本で販売していないようだが、ソラクメールはこちらで購入が可能だ。(https://sorakhmer.jp/)

ソラクメールを撮影しているときのひと時、ミエンさんがミエンさんの三女といた。
その様子が、何か相談をしているのかアドバイスをしているのか、そんなふうに見えなくも無い微笑ましい光景だった。
IMCCD宿舎の食事(7月14日の昼食)

タサエンに到着した日、早速昼食を頂いた。
食事は大概ハウスキーパーのマオさんとミエンさんの奥さんが作ってくれて、ミエンさんのご家族と一緒に食べる。



この日のメニューは、インゲンと豚肉の炒め物、鶏肉団子とエノキと海苔の入ったスープ、そしてご飯。デザートはブドウとスイカ。
私はだいたいどこの国に行ってもその土地のものを美味しく食べられる。
その中でもカンボジア料理はとてもとても口に合う。
さらにマオさんの料理は、長年高山さんの食事を作ってきているからなのか、格別に美味しいというか、カンボジアだということを忘れてしまうほど。
そして、米の美味さもとびっきりだった。
カンボジアのジャスミンライス「ロムドゥール」は、世界最高品質として認められているほど。
普段から本当によく食べる私だけれど、海外では体調を崩したくないので食事を少なめにする。
その私の計画が一瞬で崩壊し、無我夢中で3杯も食べてしまうほど。
そんなお米で作られたソラクメールもまた最高なのだ。
IMCCD宿舎内の地雷不発弾倉庫

「不発弾きましたよ!」
食後に少し休憩していると、突如ミエンさんからお声がけが。
初日からなんともスリリングなお声がけだ。
呼ばれた方に行くと、防護服の人が「Danger!!Mines!!」と書かれた倉庫の中にいた。
地雷探知作業中に見つけた不発弾を持ち帰ってきたというのだ。
「持って帰ってくるの!?」「現場で爆破処理しないの!?」と慌てる私。
車で輸送中に爆発したら、、、倉庫の中で爆発したら、、、と怖がっていたのだが、長年爆発しなかったものだから、安全に運べば大丈夫らしい。
そして倉庫の中も四方を土嚢で囲み、万が一爆発しても「上側に吹き飛ぶだけ」らしい。
「だけ」とはいえ、爆発しないことを祈るばかりだ。

倉庫の中の対戦車地雷と不発弾。これだけ大きいものは爆発力があまりに大きい為、現場で見つかったからといって即爆破処理というのは難しい。
夕暮れのクマエ蒸留

夕方になり蒸留所の中を除くと、酒米を炊く窯の前に座る女性がいた。
ただ座ってスマホでメッセージを送っているだけの様子だが、ただそこに在る姿が素敵だっただの撮らせて頂いた。

片や、まだ働き続ける男性。
この後も彼とは時間を一緒に過ごすことがあったが、本当に真面目というか、純粋に目の前のことに夢中に、真剣に取り組んでいる様子が、私の撮りたい姿だった。

ミエンさんの奥さんと娘さん(三女)。
電話をするお母さんを待つ娘。
これからお姉さんたちをお迎えに行く。そんな日常の中の風景。

この時期はドリアンのシーズンでもある。
ドリアンといえば果物の王様とは言われるものの、その強烈な臭いから苦手な人も多い。
私は臭くても美味しく食べられてしまうのだが、カンボジアのドリアンはまた別格だった。全く臭く無いのだ。
それにもかかわらず芳醇な甘味ととろっとした食感も旨みも強い。
アメージング・カンボジアドリアン。
その旬のドリアンを切ってくれるミエンさん。