プロフィールと略歴を書くと、

廣瀬義啓
あだ名:よっしー
1984年東京都生まれ
七赤金星、動物占いは虎、
ウェルスダイナミクスはクリエイター。
趣味:旅行、旅行先でのストリートスナップ撮影

略歴
2009年にウェディングフォトグラファーとして活動を開始し、ホテルウェディングを中心に国内外での撮影を担当。
同時に、SK-IIなどの企業撮影を経験。
2015年に国際フォトコンペティションで初受賞し、コンペティション活動をやめる2019年まで5年連続でアメリカ・香港のコンペティションで受賞。
2017年、香港にて開催されたアジアのトップフォトグラファーを決めるコンペティションでファイナリストに選出。
2019年にウェディングフォトとコンペティション活動の第一線から退き、ポートレートフォトの撮影やフォトグラファー育成のコンサルとして活動中。

まぁ、たいそうな感じだし、
なんとも華々しい経歴に見えなくもいない。

事実、その当時は日本人のウェディングフォトグラファーで国際的な賞を受賞していた前例なんでほぼなかったので、ある種稀な存在。

そんな私の本当のストーリーを、ちゃんと書いておこうと思っています。

これが私の「表現」を形成しているわけだから、ここを知っておいて頂くこともまた必要かと思うので。

MY STORY

とにかく不器用な幼少期

幼少期の自分をいうなら、とのにかく不器用だった!
手先がとにかく不器用で、絵を描かせたら壊滅的に下手だし、字を書いても「お前には教えたくない」と書道の師範を持つ祖父に言われる始末。
ゲームをしても下手で、兄や従兄達に勝てないし。
これが私の劣等感になった。

この不器用さは、とにかく自分を表現することへのマインドブロックになった。

さらに、兄や従兄達と過ごすことが多かった幼少期は、ゲームでは負けては馬鹿にされ、かくれんぼをしては隠れている間に家に帰られてしまったりと、なかなかに疑心を育ててしまった。

でも、この劣等感は私の想像力を格段に育ててくれたので、今となってはこの出来事のおかげで、想像を写真に表現できる能力を持つことができた出来事だと思っている。

どうようにこの疑心も、人との上っ面ではない繋がりを重要視する自分の価値観に繋がっている。
これこそ、『魂でつながりたい』と思う私の根幹になったのだから、価値ある出来事だなと思う。

実はもう一つ私の特性があって、それは「人たらし」という特性で、これもまた幼少期に得た特性なんですが、それはまた別のところで。

落ちぶれ青年期前半

中学生・高校生になっても不器用は健在で、何をやってもそんなに優れた成績をおさめることはなかった。
だから結局何をやっても楽しくないし、何をやっても続かない。
そんな状態だから、なかなか何にも興味がわかなくなって、いよいよ意欲もなくなってきてしまった。
本当に落ちぶれていたと思う。

そんな時に起きたので、アメリカ同時多発テロ。
あの光景が衝撃だったのはもちろんだけど、「なんでこんなことが起きるのかな」って。

そこでようやく、国際関係への興味が湧き、国際法を勉強したいという意欲が湧き、法学部を目指して歩み始めることができた。

カンボジアと写真

落ちぶれて何もしていなかった自分がすんなり大学受験に合格できるわけもなく、浪人予備校生に。
予備校の現代文の先生に「君は大学に入ったら、必ずM君に連絡するように」と言われたことから、自分の人生が本格的に自分に人生のミッション「魂を表現して伝える」に向かって動き始めた。

言われたおり大学進学後にMさんに連絡したことがきっかけで、カンボジアの孤児院支援に関わることになった。
そして、「お前の人生が変わるから」とMさんに言われて行ったカンボジア。
支援のこともわからないし、英語もカンボジア語も話せなかった私に与えられた任務が、写真係。
ただ孤児院の生活を撮り、派遣団との交流を楽しんでいる子ども達を撮る写真係。
「あれ?なんか楽しい!」
この忘れていた感覚と共に、写真という表現の手段を手に入れて、本当に『人生が変わった!』

これが私が写真を始めたきっかけになった。

鬱病になったからカメラマンに

写真を始めてまもなく、うつ病になってしまった。
そこから大学にもいかなくなった。
パニック発作も出てしまったから、通勤が必要な仕事も無理だろうなぁとか。

そんなことを考えていた時にたまたま
「人が足りないから、ブライダルのカメラマンやる?」
とのお声かけが人伝に。

当時も今も写真を仕事にする人の階層は深くて、本当にこんな理由で写真を仕事にし始めてしまったんですよね・・・

とはいえ、これがなかったら今の私はないわけで、本当に全てが必要な出来事だったなぁって。

カメラマンからフォトグラファーに

そんな感じで始めた仕事としての写真。
やることがあるだけでもよかったけれど、もっとうまくなりたいとかもっと上の階層に行きたいと思ってしまった。
人生の中でなかなか意欲がわいてこなかった私の、珍しいケースだ。

そこでアメリカで勉強する決意をした。
が、そんな簡単にアメリカで勉強できることもなく、まずは短期1ヶ月、アメリカのコンベンションに参加して勉強をすることにした。

そして、またここで奇跡が起きた。
東京で活動する世界のトップフォトグラファーチームと出会い、そこで勉強できることになったのだ。

世界のトップウェディングフォトグラファーになる。
その決意のタイミングで、カメラを司るカメラマンから、写真を司るフォトグラファーになれた気がした。

もう辞めたい①

私にしては長く続いた。
5年。

でもまた転機が訪れてしまった。
世界で賞を取ることに捉われて、写真を取ることが苦しくなってしまったのだ。
「もう辞めたい」

今思うと、ただただ完全にズレてしまっていた。
カンボジアの孤児院の生活を撮り、派遣団との交流を楽しんでいる子ども達を撮る写真係から始まった。
ブライダルの感情溢れる場面をただ夢中に撮っていた。
それなのに、賞が取れる写真を撮るために、作為に溺れてしまったいたから。
こうなるのもそりゃ当たり前だ。

全てを投げ出してみた。
そして自分の「撮りたい」と夢中になれるものを取り戻しに行ってみた。
ついででうつ病の薬も捨ててみた。

もう辞めたい②

私は2ヶ月タイのチェンマイで自分を取り戻すことをしてみた。

その時には取り戻せたつもりでいたけど、まだ迷いの中で帰国日を迎えてしまい、またウェディングの世界に戻ろうとした。

でも、うまくいかなかった。

そこから2年くらいもがいてみた。

そうしたらパンデミックは起こり、強制終了となった。
もう潮時かな。
「もう辞めたい」

フォトグラファーからミッションに生きる表現者に

でも、このパンデミックも私にとっては必要な出来事だった。
この期間で、老人ホームでアルバイトをして、目の表情について感じた。
これは重要なことだから、また改めてブログに書きたい。

そして何より大きかったのが、私が人生の中で何に価値を感じていて、何を人生のミッションにしているかを知ることができたからだ。

私は
・魂で繋がる
・魂を表現する

これに価値を感じていて、

『魂を魂で感じ
魂を魂で表現し
魂を魂で伝える』

そして

『魂で繋がり
それぞれの魂が尊重される
相互リスペクトの世界を作る』
これをミッションとしていることに気づけた。

だから写真じゃくてもいいので、
フォトグラファーではなくて

『魂の表現者』なんです!

まとめ

こうやって振り返って書いてみると
全ての転機が今の私に繋がっていて
その魂から離れるたびに軌道修正がかかるように試練として訪れているようです。

自分のストーリーをお伝えする機会のおかげで改めてこれに気付けた。
ありがとうございます。