
私は、出来事を撮っているのではない。
そこに「在るもの」を写している。
人や風景が、ただ在るということ。
その美しさに宿る、純粋な光を、
静かに捉えたいと思っている。
それは強く主張する光ではなく、
気づこうとしなければ、
すぐに通り過ぎてしまうようなものなのかもしれない。
なぜ、旅なのか
旅とは、特別な場所へ行くことではない。
私にとって旅とは、ただ人生だ。
生きている時間そのものが移ろい、
環境が変わり、
人と出会い、別れていく。
その連なりと共に、旅がある。
有名でバズる場所よりも、
在りたい自分で在れる場所を大切にしている。
そうした場所では、
人の在り方や、場の呼吸が、
無理なく立ち上がってくる。
私は、どこへ行ったかよりも、
どんな状態でそこに居たかを、
あとから思い出すことのほうが多い。
なぜ、写真なのか
私は、写真を
ただの情報や記録、
上辺の美しさを表すものだとは思っていない。
写真は、世界に触れた痕跡であり、
そのとき確かに感じた波動を、
かたちとして残すものだと思っている。
言葉にしようとした瞬間に、
遠ざかってしまう感覚がある。
写真は、それを無理に掴まない。
意味づけをせず、
説明を加えず、
ただ、そこに在った気配を差し出す。
だから私にとって写真は、
祈りに近い行為なのだと思っている。
人と風景について
私のなかでは、人と風景に明確な境界はない。
人がそこで生きてきた思いと時間が、
風景の奥行きをつくり、
風景が、そこに生きる人の在り方を、
静かに支えている。
誰かが守り続けてきた場所には、
声にならない記憶や、
積み重ねられた選択が残っている。
だから私は、
人を撮るときも、風景を撮るときも、
同じ敬意と距離感をもって撮っている。
近づきすぎず、
離れすぎず。
そのあいだに立ち上がるものを、信じている。
いまの生き方
私は、
静かで誠実なリズムで生きたいと思っている。
旅をし、
写真を撮り、
制作をし、
そして、きちんと休む。
すべてを手に入れようとしないこと。
境界線を大切にすること。
無理に広げず、無理に急がないこと。
それは表現のためであり、
同時に、
これからの人生そのものの在り方でもある。
終わりに
もし、この場所で、
私の写真のある場所で、
少しでも立ち止まる感覚があったなら。
同じ光を、
その場所で、感じてもらえたら嬉しい。
